あたしが文を書く理由

あたしが文章を書く時、ひらがなばかり使うセンチメンタルでサブカルで柔らかい文を書きたくなる時と、ひらがなばっかとかアホらしいしキモイから普通に書こうと思う時の二種類ある。ちなみに今は後者。


あたしが文を書く時のルールは「有難う御座います」はなんとなく中2臭くて苦手なので上記のどちらの気分でも絶対に使わないことと、思うままに書くことの2つ。汚い表現も回りくどい表現も、その時のあたしが感じたことは全部書く。それだけです。


あたしが文を書く理由は正直あたしにも分からない。あたしは「あたしが書いた文章」を誰よりも誰かに読んでほしかった。多分。だけどそれが死ぬほど恥ずかしかった。ので、認識されないようにずっと匿名ダイアリーで書いていた。馬鹿みたいにブクマと反応が来る時もあれば、2人くらいにネカマを疑われて終わる記事もあった。いくつ書いたかは忘れた。


あたしが書いたよ!と文を公開するのがどうしてもできなかった。なんとなくオタク臭くてキモイ文章を、あたしが書きました!とか言ってバーン!って出すのができなかった。

高校に入ってから耐えきれなくなった時に文を書いた。自分がその時思ったことをその時思うままにグチャグチャに書いた文章だけど結局変わってない。


初めてのダイアリーであたしは文を書くためにはてなのアカウントを作りました、匿名だから好きな文書いてもバレねーの最高ーーー!聞いてくれ俺友だちいねえことに気づいたオワタ死ね精神科行こ!みたいな文章を書いた。何個も書くうちにいつかの君?みたいな感じで何人かに気づかれたりした。コイツこの前もこの前も見たな、、みたいな人がブクマしてくれたり。それはそれでけっこう楽しかった(笑)


書く場所を匿名から公開ブログにしたのはなんとなく。隠すのもアホらしくなってきたし、あたしの日記というか思ったことをまとめたいって気持ちもあったので。


そもそもあたしは文を書くのが好きで、作文とかも得意だった(書くのがうまいとかじゃなくて苦じゃなかった)。けど、小学校高学年くらいから自分のキモイ文がどうしても他人に見せられなくなって、先生にも友だちにも、他の子の文体とかを真似して目立たないように文を書いた。あたしの文が先生に独特でいいと言われるのがいい意味か悪い意味かも、実際目立つかどうかもわかんないけど、とにかくちょっと人と違うのが気になった。

その後は自分だけが見える範囲で、好きな場面だけ書いて完成しない小説を50個くらい書いたり、ODのあとはグチャグチャに文が書かれたメモが散らばっていたり、とにかくあたしは無意識に、文章でわりと精神の安定をはかっていた。書く。書く。書く。書いてるうちにノートは無くなるしメモもなくなるし、コピー用紙も裏紙もなくなった。結局紙はかさばるしバレる。iPhoneのメモはいっぱいになって重くなる。Twitterは字数制限。たどりついたのがブログとか匿名ダイアリー。それだけ。


たくさん書けるのは幸せ。じゃあまた