死ぬということと、アイドルは人を救うということ

精神がダメです。いつもか!1Kの狭い部屋でボロボロに泣きながら、久しぶりに白鳥白鳥以外の人のことを考えました。南条あや嬢のことを思い出しました。


それから久しぶりに死について考えました。最近で言うと二丁魁に会いにTRPにライブを見に行った日、友達が自殺しました。代々木公園でライブよかったなあと1人でぼーっとしていたあたしに電話がかかってきて、もう薬を飲んでいました。400だったかな。精神薬を400錠。400錠も不安を抑える薬を飲めば冷静になりすぎて死にやすくなります。死が怖くなくなってしまいます。彼女は本気で階段を登ってゆきました。震える声で400じゃ死ねないよと言いました。こういったことに慣れていない方はびっくりするでしょうが、(あたしもなれている訳ではありませんが)薬は何千と飲まないとそれが直接の原因で死ぬことはほぼできません。彼女は分かってるけどと言いながら、あたしと電話をしながら高いビルに登ってゆきました。薬と酒を一緒に服用。風が吹く音がすごくて心臓が痛くなりました。本当に屋上。飛べば死ぬ。説得しました。でも死とはその人の権利です。止めたところであたしはその子を養うお金もないし、無責任です。無責任ヒーローです。


でもその時あたしは二丁魁のパフォーマンスを見て生命力がアホみたいにみなぎっていました。この人たちを見るために死ぬわけには行かないと。いつものあたしなら怖くて感化されて、下手したら良いチャンスだと一緒に死んだかも知れません。半泣きでパニックになりながら今あたしは死ぬほどに生きたいと話しかけ交渉を試みました。6時間後に彼女を家に帰すことに成功しました。自殺は未遂で終わりました。


でも大好きと言って彼女が屋上で1度電話を切った時は、あ、絶対飛び降りた、と思って生きた心地がしませんでした。泣きながら不在着信を増やしているとあちらから連絡が来て飛べなかったと。まだ手すりの前にいると。本当に安心しました。死ななかったことに安堵すると同時にその子が本当に悲しくなりました。400錠は致死量ではありません。400も飲めば死ねるとお思いの方も多いでしょうが、メンヘラ界隈ではみなさんご存知の通り、薬で死ぬというのは思いのほか大変なのです。でも400錠も無事だと思って薬を飲むでしょうか?答えはノーです。100を超えるとなるとさすがに勇気もいります。つまり本気です。ああ、、


世界は残酷です。ウサギと賽子さんという曲があります。あれは刺さりすぎて聴けない時があるほどの曲です。MVはさらにあかん。世界は残酷です。


卒業式まで死にませんという本があります。南条あや嬢の一生が描かれた本です。南条あや嬢は亡くなってしまったので半生ではなく本当に一生が描かれた本です。あたしは確か中学くらいの時にあのダッサい町の図書館でこれを見つけて読んだのですが衝撃でした。あたしは今、彼女の死んだ歳を越えようとしています。彼女は卒業式まで死にませんという名の通りきっちり高校を卒業したあと、自殺で亡くなりました。18。たしか。死因は確か、OD、オーバードーズです。致死量に行かなかった薬の量で亡くなったと記憶が正しければその本に書いてありました。リストカットをも超える自傷オーバードーズのし過ぎで内蔵やら血管やらをボロボロにして常に貧血気味だった彼女への報い。あたしはあと3ヶ月で19になって完全に彼女を超えて生きようとしています。


あたしは南条あやになりたかったわけじゃないけど、死ねば誰かに残るのだろうかと考えていたことは事実です。若くして死ぬ。それも自らとなるとなんだか美しいし何よりインパクトがあります。あたしはどうして生きているんでしょうか。何も残せずに死ぬことが悔しい。無駄死にしたくない。死は1度しか訪れません。処女と同じだよと友達が言っていました。自殺の成功とはすなわち死の成功で、死の成功は1度しかないんです。


あたしはほんとうに性格が悪いです。顔も悪いです。いいところはありません。死んだ方がいいといつも思っています。でもアイドルを見ていると日々が過ぎ生きることを更新していきます。重い。それだけです。死は1度しか訪れません。死を大切にしたいです。大切にすればすなわち生きられると。そう思うからです。