死の日記 12/7

 

私は、こうやって、特に私にも見えないような他人の日記や、趣味のブログ、誰にも見せないiPhoneのメモ、鍵付きの裏アカでもいい、そんなところで、ふと思いついたように名前があがる子になりたい。そこで、「かわいらしい顔立ち」だとか、そういうふうに言われたい。無理だけどね

 

 

ぺいちゃんに 特典会で、涙はでてない と笑われたのを思い出す。

泣けない、泣けないな、と思った。このブログを読んでいる人の中に、号泣した私を見た事がある人は、たぶんいない。ストッパーがあほみたいにかかっている。日々生活する顔がこんなにブスなのに、泣き顔はもっとブス。泣けるわけねーだろしねよ(笑)ははは

 

そして、顔コンプどんだけだよ、とまた煙たがられる。

 

文を打ってる時は、1人だからボタボタ泣ける。泣きながらスマホに向かい合う時間は、人生においてまったく有益ではないクソみたいな時間だと思われがちだが、私に関してはめちゃくちゃ大切なものの気がする。

 

私は孤独や嫉妬を食って生きている、それを食って輝いている と言われたことがある。 そのときは は?ほんとにあたしのこと見てんの?何を理由にそんなこと言ってんだよ孤独で輝いてるわけねーだろこのクソ男、こっちは死にそうなんだよしね と思ったけど、あながち間違いではないかもしれないと気づいた瞬間力が抜けた。呼吸をし始めた瞬間から、私はきっと負と結びついている部分がある。

 

ああダメだ、と思いながら、授業中は涙をこらえるのに必死だった。授業が終わる。今日は知り合いに会いにその人の会社に行かなきゃいけない。トイレの個室でカバンを漁る。3つ薬のパキったのがでてきたけど、とうとうカラのシートしか出てこなかった。ぜんぶゴミ箱に投げて大学を出る。

 

心臓が蝕まれていくのを感じながら、受付のお姉さんに○○部の○○さんお願いします、と言いながら、その人のジェルネイルを見てから入館証を記入しながら、そのお姉さんが嫌に美人だったのでさらに嫌になった。

 

通された部屋で待ちながら、とりあえず、片手で、7個あるTwitterアカウントのうち、ひとつ、今いちばん好きなアカウントを消す。誰も見向きもしないとわかってから、かまってちゃんをしているように見られるのも嫌になった。私の存在は、私の好きな人たち誰にとってもくだらない。そんな中で1人で喚いているのはひどくみっともないことのように思えてくる。呆れて嫌われる前に予防線を貼っておく。アカウントを消しでもしないと、嫌でも呟いてしまうことに気づいたのは最近だ。別のアカウントのツイートに生の言葉を打ち込んで、でもつぶやけなくて、下書きに放り込む。放り込んだその言葉を頭の中で反復したら涙が出てきた。私はいつも選ばれたい人に選ばれない。味方されたい人は私の味方をしない。私が執着する人間は私に無関心だ。いつもそうやって、何かをすり減らしたまま人生が進む。他人への嫉妬で体力を使い果たしそうになる。いつもいつも、嫌というほど解らされる。

 

限界の泣きたい心臓を抱えながら、渡されるプレゼントに うれしい、ありがとう と笑っておく。バッグ、よく分からないけど高そうなお菓子、うれしい気持ちは本当なのに、心臓が2個欲しい。

 

電車でようやく1人になる。

人生、くだらねーな と思いながら、流れる涙は放っておく。1人になった瞬間しか涙を多くは流せず、誰もいない部屋でしか号泣できないなんて、寂しいにも程がある。

 

家に帰ると、覚えのない薬がキッチンの前に落ちていた。拾って水なしで飲む。座り込んで効くのを待つ。たしかにこの曲のようにこんなハッピーハッピーな気持ちだったのに、今は全く気分ではなくなってしまった曲を再生する。目を閉じて体育座りをしていると、時が止まった気になる。早く効けよ、と思いながら、何もしない。座ったまま、スマホも見ない。

 

泣きながら、私、髪の毛クソ長くてキモイな、と思った。陰キャかみ切ろうかな