「キミは天使」

リリイベの時に書いていたものに付け足しました。供養です

 

「キミは天使!」

 

リリースイベントのとき、きまるさんが私のTwitterIDを突然私に言ってきた。覚えてくれてると思わなかった。アカウント名を言われてびっくりしてしまった。

 

実はこれ、由来はSexy Zoneの「スキすぎて」という曲の歌詞なのだけど、これは私の最初の自担、私の最初のアイドルのパートだった。私のアイドル人生はジャニーズ事務所所属のアイドルグループ、Sexy Zoneのメンバー、松島聡くんから始まった。はじまりのアイドルだった。

 

サイン会で、きまるさんにこれを言われた時、あっ、と思った。これは初めて言うけど、実はにちょのライブに行くことを決めて1度だけメンバーのTwitterを1人ずつ覗いたとき、あぁ私たぶんきまるさん推しになるんだろうなってなんとなく思っていた。その時応援していたその子になんとなく似てるし、私はこういうかわいい系に弱くて、「今まで」を踏まえて、普通に考えると完全にきまるさん推しになるはずだった。顔がかわいくて、でも一番かっこいい!とかイケメン!じゃなくて、かわいい顔なのにたまにめちゃくちゃかっこよくなる人!背が高くなくて、不安になるくらい天然で、ダンスがうまい子が好きだった。完全に聡くんだな。無意識にこれをベースにいつもアイドルを選んでたんだ。いや、きまるさんこれにめちゃくちゃ当てはまるな!今考え直すと完全にきまる推し、だったな。

 

初めてにちょのライブに行った日のブログにも、メモにも、「きまるモッコリさんは聡くんに似てる」って書いてあった。

 

 

 

私は、松島聡くんのことが本当に好きだった。

 

初めて好きになったアイドルだった。メンバーカラーのグリーンに運命を感じたりした。CDの取り置きを頼むために初めて電話をかけたり、コンサートに初めて足を運んだり、初めて写真も買ってグッズも買ってDVDも買って雑誌を買ってファンレターを書いて

 

 

 

一番の思い出といえばこれ、ハイタッチ会というものが、セクゾも当時はあって、1人で応募したからか、なぜか倍率をくぐり抜けて当選した。

本当に話す時間もないくらいのハイタッチ会。剥がしが恐ろしく早く、メンバーと0.1秒ずつ手のひらがかするくらいだ。時間が無さすぎてほかのメンバーとは話してもない。聡くんのところでなんとか踏みとどまって、言えたのはありきたりな「ほんとに大好き!」の一言だけだったんだけど、彼は、ハイタッチ会なのに手をぎゅっと握ってくれた。イベント中、周りに同担がほとんど居ない中、私は聡くんのうちわを持っていた。それを彼が覚えていたのかはわからない。でも、0.5秒引き止められた。聡くんが、私の目を見て、「俺も、大好きだよ」と言った。真剣な顔だった。彼がこの日、何人の女の子に同じことを言ったかなんてわからない。でも、大好きだよと言った彼は、私の目を見ていた。あれは私への大好きだったのだ。そのあとすぐに剥がされて、会場の外で色んなものがこみあげてきて泣いた。

 

ちなみにこの後もう一度ハイタッチ会が開催されて、そちらも運良く当選して行ったのだけど、その時は好きが溢れすぎてテンパり、ジャニーズ事務所所属のキラキラアイドルに「好きすぎて死ぬ」とメンヘラ発言をかましたのだが、聡くんは大爆笑しながら「そんなに!?そんなにかぁ!嬉しい、ありがとう」と、また私の手をぎゅっと握った。ハイタッチの後、私の手にはキラキラのグリッターがちらちらついていて、何?と思ったのだが、これ、噂では聡くんが仕込んでいたらしい。ファンへの置き土産が、手のひらが触れた証のグリッター。なんてできるアイドル、、!!!!!ハイタッチした証拠を残してくれるなんて、、手のひらの写真と動画を半泣きでパシャパシャ撮った思い出がある。

 

夢眠ねむさんへの思いが詰まった漫画やブログをたくさん読んで、感化されて、思い出して、放置していたこれを、今、書き足している。

 

わたしにもみどり色に染まった日々があった。

 

応援して、1年、2年、3年、成長する彼を画面の前から、年に数回はアリーナの空気を吸いながら、見続けてきた。

 

 

そのうち、聡くんは、事務所に干され始めた。なんとCDに彼の声は入らなかったし、ジャケットにも登場しなかった。こんなことありえるのか?と思いながら、毎回ぶっ倒れそうになった。デビューしたはずの聡くんはなぜかジャニーズJrとユニットを組んで、地上波のテレビにすら出なくなった。セクゾの名前を掲げて出るテレビ、イベント、すべてに、聡くんがいない。これが一年以上続いた。聡くんのいないCD、聡くんの声が入ってないCD、なのに特典には何故か聡くんがいて、その特典のために買ったけど、聴くことはほとんどなかった。

 

辞めちゃうんじゃないの、という噂まで流れはじめた。嫌だ。それは困る。だって私、アイドルを、この子を軸に世界回してるのよ、回らなくなったらどうしてくれるの。生きていけなくなったらどうしてくれるの。

そんな時、ツアーをいつも一緒に回っていたJr(デビューしてない研究生みたいなもの)が退所した。人気のある子だった。そしたらもうありえないくらいこわくなった。

 

アイドルは、いなくなる!

 

1度意識してしまうともうダメで、めちゃくちゃ怖くなった。急いで他のアイドルをチェックした。友だちがハマっていたスタダから探したり、ジャニーズJrを探したり、ちょっと変化球でモデルが本業の子を探してみたり、ほとんどアイドルみたいな若手俳優を探してみたり。

 

どのアイドルも素晴らしかった。本気だった。小さな原宿のステージで必死に歌っていた女の子は、今や人気歌手になった。初めてのワンマンライブを見届けた男の子達は、卒業と新加入を繰り返し、グループ名をいえば、ドルヲタ以外の人も思い当たるほどになった。Jrの子は、グループに加入したり、横アリで公演したり。ミュージカルのあとのお見送りでレスを貰った若手俳優を調べてみたら、界隈ではすっかり人気になっていた。その裏で、残念ながらこの界隈から去っていく子達も沢山いた。

 

でも私は、やっぱり聡くんに会いたかった。

 

彼はソロパートがないせいで知られていないけど歌が上手だし、ぜんぜん抜かれないからわからないかもしれないけどダンスだって上手だし、バラエティーに出させてもらえないからわからないかも知れないけど話だって面白いということを、私は知っていた。ずっと彼を見ていたからだ。抜かれなくたって、メインの子の後ろで踊る彼を目で追いかけたし、六本木の地下でジャニーズJrと共に踊る彼も、先輩の曲をカバーしたソロの歌声も知っていた。グループのコンサートでは1人だけソロ曲がなくても聡くんのうちわを持ったし、ペンライトは、聡くんがステージにいるときは当たり前のように緑色を灯した。彼はファン想いで、踊る時のターンとステップが美しく、笑った顔が可愛くて、かっこいい曲を踊る時は鋭い目が綺麗で、伸びやかで優しい声をしている。このことを、私は知っていたんだ。ちゃんと。彼が努力家だということ、寝る前にファンレターを読むのが幸せだって言ってたこと、ファンサマシーンと呼ばれるくらいファンサービスに力を入れていること、コンサートで、なるべくたくさんの人とハイタッチするために、奥の方まで手を伸ばしてくれること。運動神経が悪いのに、ダンスがいちばん上手だと言われるくらい上手いこと。

 

そんな時、聡くんが本格的にグループに復活した。涙が出るくらい嬉しい!CDに聡くんの声が入っている、ジャケットに聡くんがいる。ソロパートはひとつもなかったけど。

 

当時のセクゾは、本当に売れないよねと噂されていた。実際売れてなかった。横アリでライブをしておいて何が売れていないんだ、と思うかもしれない。アリーナで銀テープが舞う中歌う彼らは華々しく見えるかもしれないが、ジャニの世界は恐ろしいもので、デビューしてしまえば横浜アリーナが最低ラインなのだ。デビュー5年でドームにたどりつかず、それだけじゃなくて、なんとそのあとデビューしたグループが先にドーム公演を成し遂げてしまった。その次の年も、セクゾの春のツアーは相変わらずアリーナコンサートだった。ファンも、たぶんメンバーも、焦っていた。

 

復帰してからは、さらにオリコン一位にしないとという使命感がなぜか強くなって、なんとなくCDを買い足した。集計期間の最終日になると不安になって、学校帰りにさらに数枚買い足した。

それに、ここで1位じゃなくなったら、また聡くんが外されるような気がして怖かった。

高校生が使えるお金なんてものは限られていて、100枚買うことなんてできなかった。たった数枚のCDかもしれないけど、何もしないよりはマシだと思った。

 

 

私は松島聡というアイドルのことが、ほんとうに好きだったのだ。

 

聡くんは、いつだって、空回ってしまうくらい本気で、恥ずかしいくらいに必死で、命をかけて、ファンの目を見て、アイドルをしていた。

 

私は、彼の、こういう所が、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

聡くんがパニック障害で活動休止になったと、ニュースが言っていた。事務所からメールも届いた。松島聡抜きで、4人で、春のツアーを行うと。

 

彼は、絶対に帰ってくる、と思う。横浜アリーナで光と銀テープを浴びながら笑っていた彼が、ステージに帰ってこないなんて、ありえないとさえ思う。何年後になっても構わない。彼がまたステージで、大きな口で笑ってくれれば。

 

 

だって会いたいんだもん。アイドルに。キラキラしてる彼らに。ライブDVDだってセトリを覚えるくらい見ていたけど、やっぱり、生は違うんだよ。

 

アイドルはやっぱり、ライブだなあ。コンサートだなあ。

 

 

聡くんに出会ってから、私は言葉通り彼に青春時代を捧げたわけで、それからずーっとアイドルと一緒だったんだねえ。

 

むだじゃなかった、これまでのわたしの愛しいアイドルたち。ジプシーの最中に出会った男の子達と、たった一人の女の子、積まれたCD、数秒の握手、全員、無駄ではなかった。通うように何回も入ったTDCも、横浜アリーナも、名古屋ガイシだって、アイソと同じくらい大好きな会場。何人も私から、たまにあっちからさよならして、たった一度の出会いと別れを繰り返して出会えた二丁魁、これも無駄じゃない。

 

 

 

私は聡くんが、ことあるごとに「絶対幸せにするからついてきて」と言うのが好きだった。雑誌でも、ソロ曲の歌詞でも、聡くんは手を差し出しながらいつもそう言っていた。セクゾの歌詞は、ガンバレ!と背中を押す歌詞が多いのだけど、それだけじゃなくて、「もしも君が負けそうな時迷わず僕に聞かせてよ」とか、「ちゃんと見てるから大丈夫」という歌詞が私に響いた。本人達もそのスタンスを崩さずに言葉をくれて、横浜アリーナにいる全員に向けられる言葉でも、ファンを1人ずつ見ている感じがして、好きだった。

 

Sexy ZoneのコンサートDVDを久しぶりに見ながら、横浜アリーナでも、1人ずつを見ることはできるんだ、ということを思い出した。

 

 

 

TDCホールで、彼のソロ曲が初披露されたことがあった。彼にとって、初めてのソロ曲だった。ほかのメンバーは全員ソロ曲を持っていたのに、聡くんだけ1曲もなかったのだ。Break out my shell というこの曲は、黒い衣装に緑色のライトが映える、力強い曲だった。歌詞がものすごく強気で、強い目で歌い上げる聡くんがものすごく神々しくて、心臓が痛かった。

 

号泣しながら聴いたのを覚えている。自分の曲をステージで歌う聡くんがかっこよくて、ほらねやっぱりこんなに歌が上手いじゃない、ダンスだってこんなに上手いじゃない、聡くんってほんとうに素敵なアイドルじゃない、この子にチャンスを、絶対に報われるように、神様、絶対にこの人が報われますように。披露した後に笑う彼を見て、この子が報われるならなんでも差し出したいと本気で思った。

 

最後列の1番端にいた私に、走ってハイタッチをしに来てくれたことがあった。ぐっと手を伸ばしてくれたことがあった。うちわに反応してくれたことがあった。客席降りのとき、泣きそうになる私の顔を覗き込んで笑ってくれたことがあった。

 

 

 

でも、でもね、

でもね、何も無かったコンサート、ファンサもなかったコンサート、それも、めちゃくちゃに大切な思い出で、あの空間を、生きている彼らと共有したということが大切で、彼らは、きっと、物理的には無理でも、一人一人を、見ようとしていて、と考えたら、ああこういうことなのかな、と、勝手に思った。

 

 

 

思い返したらキリがない。アイドルは、推しは、ずっと大事だ。ずっとずっと特別だ。離れてしまっても、熱を持って追いかけることができなくなっても、やっぱり、特別で大切な子なんだよなあ。

 

 

しらとりさんのお誕生日は10/4で、天使の日。私がこのアカウントを作ったのは、出会うよりずっと前だけど、由来は聡くんのソロパートだけど、いろんな人に「すごいね、運命だね」と言われた。運命だよなんて言えないし、ただの偶然かもしれない。でも、聡くんの大事なソロパートがしらとりさんに当てはまったこと、ものすごくときめいた。ふふふ

 

 

私の名前すら知らない彼を、追いかけた。

彼の名前を、カッターで不器用に切り取った。

みどり色のリボン、ネイル、ペンライト、

ステージで笑う彼が生きる理由だったあの日、

双眼鏡でのぞいた彼の目、

重なった手、

最後列から見たちいさな彼の姿、

 

 

 

 

 

白鳥白鳥さんを推し始めて、あと少しで1年になります。

 

 

私は、私はやっぱり、アイドルを諦められないよ。私のこの薄っぺらい人生に絶対的に必要なものなんだよ。

 

ステージで笑う彼らが私の希望です。ずっとずっと、笑っていてね、

 

 

自分のペースで追いかけるから、そこにいて

 

 

 

おわり