美しい人

 

美しい人のYouTubeをみた。

 

顔がかわいい子がポテトサラダを作っている。ボウルにちゃんと野菜を分けて、よく切れそうな包丁で、木でできたまな板の上、慣れた手つきでじゃがいもを切る。余った野菜は糠床に入れ込むという手際の良さ。美しい手さばき、美しい作り方だ。

 

あーーークソクソクソクソ、明日世界が滅びますように!と思いながらめちゃくちゃ泣きそうになった。美しい人は日々を大切にできるのだ。美しくない私は、日々が早くすぎることを、ぎゅっと目をつぶり祈るだけ。美しい人が生きることを楽しむ中、死なないように必死で生き延びるだけ。

 

美しい人が、苦手だ。

 

様になっている人、顔が綺麗な人、服がオシャレな人、なんだか全てをモノにしている人、個性的なものを堂々と身に纏う人、

私には、釣り合わない人。

 

こっちに来ないで!波打ち際をイメージしよう。日に焼けるとそれだけで今の姿よりも醜くなる私は、日焼け止めを馬鹿みたいに塗って塗ってパラソルの下から動きたくない。美しい人はなんの悪意もなく、なんなら善意を前面に押し出して、私からバスタオルを剥ぎ取り、陽射しの強い海辺へと手を引く。そして劣等感という名の透明な海水を、をざぶざぶと、笑いながら掛けてくる。

 

美しい人はきっと、足を濡らす冷たい海水は気持ち良いと思っている。太陽の下に私を連れてこれたことを、良かったと思っている。陽射しが夏らしくて目を細める顔はきっと笑っている。

 

もしくは、美しい人は私のことなんてガン無視でないものだと思っていて楽しんでいるか。2択。

 

その綺麗な顔が事故でぐちゃぐちゃになればいいと思うし、憎らしいとさえ思う。愛と執着は紙一重で、好きと嫌いは紙一重で、愛しさと憎しみは紙一重で、死んでしまえばいいのになと思った次の瞬間、一緒にアイスでも食べに行きたいなと思ったりする。

 

心臓ががくがく震えている。きっと怖い。自分が醜いことも、自分と比べものにならないくらい美しい人が存在していることも、怖い。劣等感、劣等感、劣等感、、嫉妬、ぐるりとひと回りして怒り、少しの愛しさ、でもやはり1番は、虚しさと悲しさ

 

美しく、生きよう、、、と思っても、部屋は散らかるし、要領は悪いし、動けなくなるし、私の美しいところってどこ?

 

リーゼを煽って大丈夫!と過ごしてみたって、ずっと悲しく、鏡も割りたいし、虚しいし、苦しいし、美しい人は美しく、毅然と存在しているし、また選ばれなかったし、もう心臓が重いんだよな

 

でもほんとうは、美しくなりたい。と、思っている。し、美しい人のことを、尊敬しているし、近づいてみたいと思うし、美しさの核心に触れてみたいとも思うし、表面だけでなくて、なかの美しさも覗いてみたいし、美しさに感心しているし、屈服しているし、声に出して美しいですねと伝えたいし、美しい人のことが、ほんとうはほんとうに大好きなんだよね。大丈夫だョ〜ヨチヨチ

 

美しくないということはこういうことだ。わかるか?わからないならどうかそのままでいてほしい。わからないあなたは多分ものすごく美しいから。

 

 

 

 

 

ちなみに美しい人がポテトサラダを作るYouTubeはこちら

https://youtu.be/Cr2GiUwVMgQ