日傘

 

お母さんが東京に来た。

 

人の波にさらわれたり、空回りしたりして、都会に焦って失敗した、照れ笑いをするお母さんを、憎いと思った。怒鳴ったら、スッキリすると思った。

 

加虐心が少しずつ膨らむ音がする。

 

お母さんは子供っぽい。私の手を握ろうとしてきた。振り払うイメージが頭を支配した。

 

でも黙って手を握った。

 

 

 

 

お母さんはわたしが家を出たらすっかりおとなしくなってしまった。東京に来る時はよそ行きのお母さんが50パーセントだ。よそ行きのお母さんは怒鳴らない。その事実がわたしの居場所はあそこにはないのだという、帰る場所はないのだという事実を確信に変えていった。

 

「そうだ」

「?」

「○○ちゃん、日傘買ってあげようか、安いやつだけど」

「日傘」

「日傘」

「日傘?」

「東京だとたくさん歩くでしょう」

 

地元はどこへ行くにも歩いては行けない。ドアトゥードア。お母さんからのプレゼントしようというリクエストに、私はいつもこたえる。私はなんでも欲しがる子だと思われている。でも私は知っている。いらないよと言った時のお母さんの悲しそうな顔を知っている。お母さんにボコられた記憶は消えない。でも悲しい顔をさせるのはばつが悪くて、いつも真顔で欲しいと言う。お母さんは仕方ないなあという顔でそれを渡してくる。 

 

私は義務感でものを受けとり、ありがとうと嬉しげに言って、使わないものはそっとしまいこむ。だからうちにはものがふえる。まるで静岡の実家のように。日傘もそうやって受け取った。でも日傘は欲しいと思っていたから、ほんとに嬉しい気持ちも半分だった。

 

お母さんにご飯を奢ってもらって、お菓子を買ってお土産にと持たせてもらって、あれやこれやと 娘のために世話を焼く親 になりたがってお菓子を包んでもらうお母さんをなんの表情もない気持ちで見つめたことに少しだけ後悔もして、美術展を一緒に見て、手を結局振りほどかず、お菓子も、日傘も、いらないと言わずに、左様ならの時間になった。

 

「じゃあね」

 

「お母さん」

 

お前なんて嫌いだよ、なんて言えなかった。

 

「お母さん」

「なあに」

「.......気をつけて帰ってね」

 

お母さんは頷き、〇〇ちゃんもね、と言って改札のなかに入った。

 

私は日の沈まない夕方にその日傘をさして東京の家に帰った。嬉しいような悲しいような気持ちと一緒に。

 

 

 

 

結論を言うと、その日傘は、壊れた。使い始めて1週間もした頃、ある日音も立てずにぽろりと骨が折れた。お母さんに、日傘、壊れたよと言った。お母さんははめ直して直せないの、と言った。わたしは、折れちゃってるから無理だよと言った。お母さんは、そう、残念。と、一言だけ言った。お母さんが買ってくれた日傘を壊した私は、お母さんが買ってくれた日傘をゴミ袋の奥にしまい、お母さんが買ってくれた日傘をゴミの日にゴミに出した。やってやったという気持ちは何故か起きず、ほんのりと寂しかった。その夏はあたらしい日傘を買う気が起きなくて、その日傘のことを炎天下の外になんの装備も持たずに出る度思い出した。家族ってこういうことなんだと思った。忘れられない逃れられない何かが付きまとうが、それは決して居心地の悪いだけのものではなかった。家族ってこういうことなんだと思った。夏の終わりの日差しが弱まった頃それに気づき、太陽がしみて少しだけ涙が出た。太陽に透けた私の赤い指の間に、血の繋がりを感じざるを得なかった。紙で指を切って出した直接的なあの赤色よりも、このオレンジに近いような朱赤が、家族のかたちを表しているような気がして

 

 

 

 

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