逃げたい逃げたい逃げたい逃げない大丈夫!

昨日はめちゃくちゃ幸せな日でした。なんかもう好きな人に会いすぎて、素敵な言葉をもらいすぎて、頭がおかしくなるかと思った。呪いと向き合えたし。


なのに今日、反動かはわからないけど、なぜか、誰か私を好きでいてくれ、と思いながらぼたぼた泣けてきてしまいました。私は好きな人に嫌われるのが嫌いです。好きな人に嫌われたい人なんていないと思いますが。でも、好きな人が私を苦手なのに無理をして接してくれるのが1番嫌いです。苦手な人に好かれるのは誰だって苦手です。1番不幸なことは、好きな人に嫌われることではなく、嫌いな人に好かれることだと言っていた人がいます。その通りです。これは仕方のないことです。人間には相性があって、私だって嫌いな人くらいいます。だから同じことをしたくないし、好きな人にそんな思いをさせたくないと思う。だから定期的に、Twitterブロックしていいよとつぶやきます。これは本心で、病んでるからとか匂わせじゃなくて、本当にしてほしいからつぶやいています。楽に生きたい。私もあなたも。なるべく楽しく。ね。


でも嫌われるようなことばかりしてしまう。気持ち悪い文章を送り付けたりとか、基本的に好きな人への愛がアホみたいに重い。それから、気持ちをストレートに伝えすぎる節があります。


今日は1日家にいて、何をするでもなく好きなアイドルの曲を聴いていました。昨日の幸せに浸る時間もあったり、推しについて考える時間もあったり。


でもそんな中でジワジワと呪いについても考えていました。左腕を見てみました。まだ自傷の跡がありました。お母さんに「何それ!あんた、気持ち悪」と言われたのを思い出しました。消えなかったらどうするの?と聞かれて、恥ずかしい、ほかの人が見たらなんて言うのか、噂になったらどうするのか?お母さんにとばっちりがきたらどうするのか。結局、私の心配はしなかった。されたくてしていたわけじゃないから良いんですけど、拍子抜けしてしまった記憶があります。


私のその目が嫌だと言われたのを思い出しました。考え方が気持ち悪いと言われたことも思い出しました。ピンクが似合わないと言われたこととか、私の服がずっと青かったこととか、妹はピンクだったこととか。私の幼稚園から使っていたピンクのお皿が、いつの間にか妹のものになって、青のお皿が私のものになっていた時のこととか。家の前に裸足で出された真冬の日とか、太もものあざを隠すために履かされたレギンスとか、絵なんて描いてないで勉強しろと捨てられたスケッチブックとか、国語だけできてもなんにもならないと言われた日とか、私の低いIQにため息をつかれて、言語だけ高いのをバカにされた日とか、話が下手くそだと言われた日とか。友達ができないと言われた日とか。その何気なくてなんでもないひとつひとつが呪いになって、18歳の私ができてるんだなーと。


この間、頭を撫でてもらったとき、一瞬手で防いでいる自分を見つけてはっとしました。また呪い。でも殴る人はいないから。これもきっと解けかけてる。頭は撫でるものです。


精神科の先生に、アルバイトをやめた方がいいと言われた時も、学校を休んで、治療に専念した方がいいと言われた時も、お母さんは「でも」と言いました。学校は休まずに行って卒業しました。3年生の夏あたりから、ダメだ死ぬと思いました。限界がきました。だから逃げました。生きるために逃げました。お母さんにバレないように学校には行くけれど、保健室でこっそり眠って、幻聴や副作用と戦ったり。


お母さんにはあんたは本当に精神が弱いね、と呆れられたけど、私の精神を弱くしたのは、お母さん、だと思います。私は人間で、ものではないので、都合がいい時だけかわいがって、機嫌が悪い時はボロボロにされていたら、頭だっておかしくなる、と思います。でもわからない。私は生まれつき弱かったのかもしれない。人のせいにしたらいけないのかもしれない。生きるのが下手なのは事実です。


1度ボロボロになると、精神というのは元には戻りません。いつから私の精神が壊れたのかはわからないけど、自分がほかの人に比べて、異常なくらい考えているのは分かります。色々なことを。常に。これが私の性分なのか、躁状態だから考えているのかはわからないけど、私のこと、好きな人のこと、嫌いな人のこと、世界のことから愛のことまでなんでも考えています。馬鹿だな!


先生が、逃げるのは大事で、悪いことじゃないよ、と言ったことがあります。私は今逃げています。生きることから逃げないために、色々なことから逃げています。一言で表すとクズです。楽しいことになるべく目を向けて、悪いことからなるべく目をそらして、希死念慮を跳ね除けて、安心した日々に慣れて、心をなんとか、なんとかたもってできる限り修復しようと必死になっています。これは悪いことなのかな。


私の呪いはこうやって、長い年月をかけてお母さんがかけた、と思います、でも、関係のない他人がかけたとも言えるし、私が自分自身でかけた、とも言えます。


でも色々なことから逃げる中で、逃げながら向き合うことを覚えました。逃げながら呪いに向き合う。今私が世界一好きなアイドルが、呪いをガンガン叩いて鍵をぶっ壊してくれるので、向き合うことができるようになりました。外すのが無理そうなものだったから、諦めて、向き合うこともできなかったのに。向き合うのは正直すごく苦しいけど、他のものから逃げている以上、これからは逃げません。バランスが取れている気がする。最後に外す係は私です。逃げたくないし、諦めません。呪いも生きるのも。


先日、好きなアイドルと喧嘩(喧嘩?????)した時に、「あなたを呪縛から解き放ちたい」と言われたんです。でもその時は頭がブチ切れておかしくなっていて、ハイパーメンヘラモードだったので全てをネガティブに捉えすぎて、「は?何言ってんだこいつ、テキトーなこと言って誤魔化そうとしてるわ、意味わかんねーは?は?は?いやいやいや謝れよ」と思ってしまったんですけど、今思うとクソ最低ですね。これも呪いだな。すぐに自分を攻撃されると思ってしまって心が尖る。馬鹿だ。でも冷静になってみたらとんでもなく嬉しいことでした。そのあと、「あなたを私が救いたいと思った」と言われた時は泣きました。私の夢は、アイドルに救われることです。私にとってアイドルという存在は特別なんです。その中でも、にちょうめの魁以下略さんと、白鳥白鳥は1番、特別の中でも群を抜いて、というかもう他にないくらい特別なんです。だから、その夢に向き合ってくれるアイドルがいることがしんじられなくて、しかもそのアイドルが白鳥白鳥だということが嬉しくて泣きました。私はしらとりさんではないので、しらとりさんがこのブログをどこまで読んでいるのかとか、(知ってるよおとといのとかは読んでくれてるんでしょ。さすがにもうそれは信じているよ馬鹿にしてないよ。)私についてどこまで知っているのか、ツイートをどこまで読んでいるのかも、しらとりさんがこの言葉に入れた本意もわかりませんけど、幸せな勘違いオタクなので、そういうことにしておきます。好きな人が、呪いを解こうとしてくれていることも、夢を叶えようとしてくれていることも、嬉しくて無理でした。


泣きながらこんなことを書いているけど、私は元気です。わーい!人生が変わる予感がしています。良い方向に。出会ったからには大丈夫な気がしています。逃げたい逃げたい逃げたい逃げない大丈夫!びっくりマークつけちゃう!前向きな気持ちなので。おやすみなさい。