歌詞が良い曲って、ありますよね。私も曲はわりと歌詞重視で選ぶ時、あります。
すごくいい曲だな、でも、私の曲じゃないな、って思うことがすごくあって、それってなんか、すごく虚しいんです。また私の曲じゃないな、私の事じゃない、私じゃない、誰かのことだ、その誰かが羨ましくて、良い曲なのに、刺さるのに、いまいち自分が入りきれなくて、また選ばれなかったなあとか思ってしまうことがあるんです。ひねくれてるので。スポットライトが永遠に当たらない気がして、なんだかやりきれなくなる時があるんです。曲というのは、歌というのは、寄り添ってくれるもののはずなのに逆に遠く感じる時もあるし、自分の思う「良い曲」が当てはまる人を妬ましく思う時もあります。
初めて二丁魁のライブに1人で行った日、その時の私が知ってる二丁魁の曲は、まるもうけだけだったんですけど、やらなかったんです、まるもうけ。だから実は、知ってる曲、ひとつもなくて(厳密に言うとひとつあったんですがカウントしません)、でもライブを見ながら、知らない曲を聴きながら、ボロボロ泣いてしまいました。ライブを見て泣くのって初めてで、自分でびっくりしてしまいました。全部、嘘でしょってくらいに突き刺さってくるんです。痛い。痛いのにステージの上の彼らがみんな優しいんです。えぐってくるくせに、そこをしっかり埋めてくるんです。
ミキちゃんの歌詞は、良い意味ですごく残酷です。現実的で、アイドルがよく歌う夢みたいなことは、何一つ書いてないです。ふわふわもきらきらも、過剰な装飾も、優しい嘘も、ないです。痛いところをついてきます。
でも聴いたあと、絶対に前向きな気持ちになるんです、私。救われた気持ちになります。残酷で現実的なのに、優しくて、痛いけど前向きで、逆に信じることができます。ミキちゃんのこと、このアイドルのこと、この歌詞のこと。
この歌詞を書いているということは、自分に刺さる歌詞をミキちゃんが書いているということは、多分、ミキちゃんも同じようなことを感じてるんですよね。だから、1人じゃないってどこかで思えるんです。感じているものは100%ミキちゃんと同じじゃないかもしれないし、解釈が違うところもあるかもしれない。でも、そういうのを抜きにしても、心臓が痛くなる何かがあります。この、良い意味でアイドルっぽくない曲を、私の救いであるアイドルが全力で歌うというところにも、救われてるんだと思います。
突き刺さりすぎて笑えねー!だいすき!
おわり。