他人の武装に口出しすんな黙ってろ

 

突然ですが質問です。

 

「自分」が否定された時の気持ちってわかりますか?

 

わたしは、自分の、顔が嫌いです。どうしても、どうしても、どうしても、どうしてもどうしてもどうしても、好きになれません。鏡を見ても、そこにうつっているのが人間だと信じられません。なんとなくぼんやりしたイメージしか浮かびません。まじまじと鏡を見るたびに、自分の顔というものがよく分からなくなります。たしかに気持ち悪いのは分かります。こんな気持ち悪い顔をした人間がほかにこの世に存在するのでしょうか?先日、追い打ちをかけるように同級生にブスと言われて死んだところです。

 

自分を否定された、と聞くと人格否定を思い浮かべますが、顔、体型、そしてなによりもセンス。これらを否定された時の悲しみと言ったらありません。

 

唐突な話ですが、私は少数民族が好きです。

隔離された世界で、自分たちの美を信じて呼吸をしている彼らを、尊いとさえ思います。口に皿を嵌め込む彼ら、首に輪っかをつけて長く見せる彼ら(ちなみにですがあの輪っかは実はらせん状になっていてそれを首に巻き付けているんです、むかしの私は丸い輪っかをひとつずつつけていると思っていたので、彼らをみるたびにをどうやって首につけているのか不思議に思ったものでした)、大胆な入れ墨を顔に入れる彼ら、彼女らは全員これを美しいと思っているから実行しているのです。美しいなぁと思います。あ、こういう人達、変ですか?そうですね、たしかに変かもしれません。日本では考えられないですよね。とくに口にはめ込む皿とか。でも、美しいです。美しいんです。私は本気です。自分たちの美しさを信じている人は美しいのです。こういうのを見て、「変なの」と笑う人は美しさがわからないかも知れません。難しいですね。難しいんです。美しいって難しいんですよね。

 

私は18年間、駅に歩いて行けないような田舎に住んでいました。生まれてからずっとです。このちいさな田舎で、気合を入れた格好は笑われるに決まっていました。派手な格好をしたヤンキーたちは馬鹿にされていましたが、私の目には美しく映りました。

私はピンクやレースやリボンが大好きなのですが、これだ!と思った服は1着しか持っていません。しかもその服も2回しか着たことがありません。大事に大事にクローゼットにねむっています。

私の信じるかわいいを3割混ぜ込んだようなギリギリ目立たない格好をしていたら、全身GUの同級生に「ダサいね」「いつも変だよね」と言われたことがあります。私はダサかったのか、と思いながら家まで歩きました。笑われたおもちゃの指輪もセボンスターも、私にとっては大切なアクセサリーでした。ちょっと変な柄の服も、私の大事なお気に入りでした。

 

かわいいワンピースを着たら笑われるような田舎から東京に出て来ましたが、じゃあいまは好きな服を着ることができているかと聞かれたら、答えはノーです。怖いです。服を見て、メンタルが元気な時は試着をして、それで精一杯です。

 

きらきらで武装をしたら、ぜったいにかわいい。私の信じるかわいいは、頭の中に、ちゃんとあります。街を歩いていて、これを着ることができたらぜったいに幸せだ、と思える服に出会ったことも、何度もあります。でも私は、ぜんぶ見て見ぬふりをしました。

 

コンゴのサプールという男の集団は、貧しい街中を糊のきいたワイシャツとスーツで颯爽と歩きます。ピンクのスーツでバシッとキメたり、ハットを被ってみたり、個性的なデザインのサングラスをかけてみたり、これがものすごくかっこいい!!高校の頃の私は、彼らの特集が組まれたマイナーな雑誌を手に入れ、ベッドでなんども読み返していました。

 

ここは日本です。かわいい服なんていくらでも売っています。着て歩く権利も保証されています。それなのに私は、遠い国で整備もされていない道をスーツで歩く彼らが羨ましかった。今日も着たい服を着て歩けませんでした。爪くらいはせめてと思って自分の「かわいい」を信じてみました。何百回目かもわからない溜息がでました。私はなんで好きな服を着れないんでしょうか。顔がかわいくないからでしょうか。ブスだからでしょうか。太っているからでしょうか。それらを理由にして自分に自信がないからでしょうか。笑われるのが怖いからでしょうか。きっと全部です。私はずっと自分を殺してきて、とうとう生き返る方法を忘れてしまったのでしょうか。最近、他人にハンマーで殴られるようなことが何度も起きて、疲労困憊しています。でも結局それは事実で、悪意に思えるものは本当はただの事実で、私が喚いているだけだとしたらと考えると、やはり誰も悪くないのだと思います。私はまた他人のせいにするひどい性格を吐露しただけということになります。考えるのをやめて眠ろうと思います。おやすみなさい