人間を愛してください

 

私が人生で1番辛かったのはおそらく高校1年生の時なのだけど、実は記憶があまりない。あんだけ辛かったはずなのに、記憶に重きを置いていないというのか、断片的は覚えているけれど、なんだか他人事のようだ。これが自己防衛なのか偶然なのかは分からない。

 

私の陰キャ人生は幼稚園でさえちゃんとちーちゃんに靴を隠されていた時から始まっていた。高校も中学も小学校ももちろん幼稚園も、いじめられている期間が絶対にあった。生粋のいじめられっ子気質で自分でもウケてしまう。学校や園でガン無視されて疲労して帰ったところで、だいたいお母さんも1日数回キレるので、安全な場所と思えるところは特になかった。怒鳴られるのもなかなか怖かったが、手を出されるのが1番怖く、しかも妹はかるく怒鳴られることはあっても手を出されることは私の記憶上はほぼなく、ものの溢れた部屋で手当り次第にものを投げられたり、妹のやったことに対してなぜか私が怒られて真冬のお風呂上がりに玄関の外にポイされたり、夏場に衣装ケースの中にポイされて蓋を閉められたり、馬乗りになって殴られたり椅子を打ち付けられたり制服を窓から捨てられたりしたが、しぶとく生き残ってここまで来てしまった。そうやって学校でいじめられて家で優しくされたりボコボコにされたりを繰り返して生きているうちに何が何だかよくわからなくなり、そのままよくわからないままに精神病になってしまった。幻聴と会話したり怯えていたヤバい時期は通り過ぎたが、いまだに色々な支障が出ているし薬を飲まないと生活はできない。というかいまだにまともな生活もできてない。

 

大きくなったら親と離れたいとずっと思っていたが、親は腐っても親で、まあボコボコにされてはいたが愛を見せてくれた人でもあり、優しいところもあり、血の繋がりもあり、自分が思っていたよりも愛したい人間だった。

 

ひとつ言えるのは頼れる大人なんていうものは幻想だ。いのちのダイヤルに手をかける前に人は死ぬ。打ちどころが悪ければ椅子から落ちただけで死ぬ。落雷しても死なない人は死なない。人間の生命力は蝋燭の火のようなもので、時と風向きと運にかかっている。

 

 

お母さんは「変わった」のか、私がいなくなったことで「戻った」のかは分からない。きちんと片付けられた部屋で黙々と勉強をする妹を見ていると、落ち着いているお母さんを見ると、ものに溢れていないリビングを見ると、流れている穏やかな時間を見ると、私抜きでようやく完成された安定した家族を見ると、悔しさよりも悲しさよりも、私はなんだったのか、私という人間は、なんだったのか、そういう、1種の虚無のようなものを抱くほかない。そして、実家という本来帰るべきものである場所にもう私の机すらもないと思うと、感じる孤独は計り知れない。荒れた家で受験勉強をしていたことや、自分の部屋なんて無いに等しかったこと、そもそも私の時は手を出し叫んでいたお母さんが大人しくなっていることがなんとなく悲しかったが、不思議なことに妹を殺したいとかそういう気持ちは別に湧かなかった。たまに妹のこと嫌いじゃないの?と言われるが妹はかわいいし、頭がいいから、ADHDでママの求めることが出来なかった私が殴られていたのも当然のように思えるし、頭がいいのはすごい。頭がいいとお母さんも優しくなるし得だなあと、子供っぽい意見を他人事のように思うだけだ。

 

 

生きる意味なんてものはあたりまえにないと思っていたが、生きる意味がないにしても、親が存命のうちは、帰る場所くらいはあると思っていた。殴らなくなった親と、仲良く、そこそこやって行けると思っていた。でも違った。手を出さなくなった代わりに私に与えられるのは無関心で、サンドバッグにもならない自我を持った長女にはもう興味が無いらしい。親からの無償の愛、それこそがわたしのいだいていたおおきな幻想だったみたいだ。