愛、そしてエゴ

 

人を愛することは、エゴと同じだろうか。

 

最近常々そんなことを考えていた。

 

私は昔からお人好しだと言われることが多かった。幼稚園の夕涼み会の輪投げの券は欲しいと言われたら頑張ってねとあげてしまうし、おとなになったいまも、電車の席で2人組が別れて座るくらいならと立っているなら場所を移動する。そしてお互い、ぎこちない会釈をして私はスマホに視線を戻す。でもそれって親切なのかな。

 

私は、もしライブハウスでのライブで良い整番を引いた日にお誕生日の子がいたらその子にあげたいし(それがたとえ1番でも)、LINEでスタバやらアイスやらをあげたいし、プレゼントをくれる子ならあげ返したいし、だって、生まれてきてくれてありがとうって、行動で示したいから。

 

生まれてきてくれてありがとうって言われたいからやるのかな。でもやられなくてもなんとも思わないんだと思う。生まれてきてくれてありがとうって、行動しなきゃ言われないと思っているけど、行動しても言われる確証は無いと思っているから。

 

生まれてきてくれてありがとうって、みんな思われたくないのかな。思われたいというのもエゴだろうか。決めつけ?誕生月だから(きょうから)ナイーヴになっているのかもしれない。

 

行動って、モノって、浅はかだろうか。

 

私は人のこころに入り込むことや、みんなが持っている独特のうつくしい世界観を持つことが苦手だから、肩を竦めて頭を動かして、いつも好きな人がどう幸せに生きられるか、そればかり考えている。その人に好かれていなくても、私が好きなら充分な気がしてきている。でもやっぱり嘘、そこまで大人になりきれないかも。24歳になろうとしていても私はまだまだもろくて、自立した大人になりきれない。だけど苦手な人とか変なところだけ明確になってきた。24歳になったらもっとグレードアップするんだきっと。

 

今月は個展(正確に言うとグループ展)のギャラリー見学に行ったり、生きなきゃいけないことがいっぱいだ。みんな来年の8月空けておいてください。