24歳になる前に死ぬと思っていた

 

24歳になる前に死ぬと思っていた。

 

それはなぜかは分からないけど、大好きな山田花子も、南条あやも、24になる前、もしくは24で死んでいるし、なんとなくじぶんもそうなるんじゃないかと思っていた。

 

でもわたしはきのう、24歳の誕生日をめでたくむかえた。

 

ちっぽけな人生を色々振り返っていた。

 

このブログは消すかもしれない。全てを語りすぎる気がするから。

 

まず母のことを思い返していた。

すぐに思い返すのは、わたしに投げた携帯の角が当たって流れる血に、携帯の方の心配をしていたこと。ヒステリーを起こすと止まらないこと。制服を2階から捨てられたこと。教科書を雨の中庭中にばらまかれたこと。悪いことをすると絶対に外に出されること。真冬のお風呂上がりに裸足にタンクトップで外に出されて意識がくらむまで中に入れなかったこと。真夏に衣装ケースに入れられたこと。ピアノのお稽古が終わる5分前からお迎えにきて、そのあいだに間違えると叩かれたこと。お家で練習している時に間違えると太ももをつねられて常にアザだらけだったこと。家庭教師でミスがあると正座で怒鳴られたこと。手当り次第投げてくる物が当たって痛かったこと。椅子を何度も何度も振りかざされて怖かったこと。母がむかし行きたかった高校を受験させられて、行きたい高校に行かせて貰えなかったこと。精神科にいくとき、制服だとバレるからと車の中で着替えさせられたこと。

 

頭が良くて、優秀な子にしたかったんだと思う。なれなくてごめんなさい。

 

ママの行きたかった高校、本当は全然行きたくなかった。制服ダサいし。

 

でも母は、酷いことだけする人ではなかった。

 

わたしのなかで、酷いことをされた記憶があまりにも濃くて、忘れかけてしまうけど、そんなことない。

 

だから、苦しい。

 

たくさん買い与えられた本や、車でないと行けない図書館に数え切れないくらい連れていってくれたこと。美術館、博物館、演劇、エンターテインメントを教えてくれたこと。お誕生日にプレゼントしてくれた宝物になったミュージカル。殴ったあと、酷いママでごめんねと必ず抱きしめに来たこと。泣きながらママに私も謝ったこと。一緒によくクッキーを焼いたこと。バナナケーキも!私が見たいドラマを絶対にとっておいてくれること。東京の大学に行くことを許してくれたこと。父が渋った一人暮らしを説得して許してくれたこと。二重の整形の付き添いに来てくれたこと。東京で泣きながら死にたいと弱音を吐いたら、夜に車を飛ばして迎えに来てくれたこと。大学を辞めることを許してくれたこと。いまこんなふうになってしまってから、気分を気にかけてくれるようになったこと。

 

わたしはふつうになることはできないかもしれない。

 

ボロボロだった心は癒えているかわからない。

というか、心は確かにボロボロだったけれど、それが母が原因かは、神のみぞ知るところだと思う。

 

でもわたしも母も、いまは分かり合えなくても、分かり合える方向には、着実に進んでいる気がする。

 

分かり合えなくても、ぶつかり合わないようにしたいなと思う。

 

それって虐待ですよね?と精神科の先生やカウンセラーさんに言われても、出来の悪い私も悪かったので、と答えるばかりだったが、それが正解かもわからない。

 

でも確実に辛さの根源は母に「も」あって、それは解決しなくちゃいけないんだと思う。

 

それがわかっただけ、ぜったいに成長だし、わたしはきっと、この辛さと向き合って、いつか本当の「大丈夫」になりたいなと思う。