また、同じ夢を見ていた

 

精神が人生でいちばんレベルでぶっ壊れて免許挫折してとれてないし鬱すぎて寝るどころか体育座りで顔あげられないまま過ごしちゃったし本気で死にかけちゃったーーーー!!!返事もしなくてごめんねーー!!生きてるよー!て話と途中まで本気で書いた遺書をたくさん改変して混ぜたブログ

 

 

 

 

生きていればなんとかなると思っていました。

 

生きていれば楽しいこともあるし、人の温かさに笑顔になれる日もあるし、ライブでぶち上がってスッキリできるし、かわいい服を着てご機嫌になれるし、どれだけさみしくても、孤独感で立ち上がれなくなっても、生きてたら、生きてたら、きっと、と、ずっと思っていました。

 

だから生き延びることにとにかく重点を置いていましたし、死んだらダメだと思っていました。だって死んだら終わりだから。

 

でも最近そう考えることすら難しくなりました。まあみなさんご存知の通り何年も希死念慮とずっと戦ってはいましたが、とくに最近、きっと死んでおけばこんな思いしなくて済んだのになー、きっと死ぬ事でしかわたしは救われないなー、って毎日思うようになって、あれ?なんか最近ストッパーがまったくないな、あれ?楽しいと思える時間が無いな、あれ!?なんだかいつもの鬱と違うな、なんだか、、、、なんだか、、、、なんだかとってもやばいなあと思っていたところ、‬本当にいつものような死ぬ!無理!では済まなかったようで、死にたい、ではなく、線路や首吊りや飛び降りや、具体的なイメージが頭を飛び交ってそれを探すようになりました。

 

まあ死ねませんでした。だからこれを書いています。

 

お母さんも産まなきゃよかったと言っているし、いつも一緒にいれるような安定の友達もいないですし、精神的に頼れるものだとか、安心できる確かな場所って本当はわたしにはひとつもなくて、それを踏まえてわたしってなんで産まれてきたのかなって考えたら、完全に何かのミスだなって思いました。わたしを産んだ人に産まなきゃよかったと何度も言われたけれど、ほんとうは、言われなくてもわかっていました。わたしが生まれなかったほうがよかったというのは、わたしほどの馬鹿でも自分でわかってしまうほどに明白なことです。空が青いことや、髪は伸びるということのように至極当たり前で自然で完全なものです。

 

もう無理だ、と思ってしまいました。もう無理だ、のあとに、思い浮かぶ人やものがいませんでした。アイドルだとか、ライブとか、仲良くしてくださった方たちだとか、家族とか、何も。もう無理だ、もう無理だ、もう無理だ、の後に続くものが何もなくて、無理だけど、も、もう無理、でも、ともならなくて、もう無理なんだ、ってはっとしました。

 

何度も書いていますがわたしは、人との関わりが圧倒的に希薄で細くて、ずっとそうで、この孤独感は死ぬまで埋まらないんだろうなって、うすうす勘づいてはいたけど、気づきたくなくてまるごと認めることができずに、いつかは埋まるんじゃないかと夢を見ていました。甘かったです。感情が爆発したら一瞬何も感じなくなったんですが、ずーっとそのままでいたかったです。ずーっとどうでもいいままでいたかったです。

 

端的に言うと、生きることに疲れました。

 

いろんなものが、ズレて、ズレて、あまりにズレすぎてしまって、限界を迎えて、そしたらもうもどらなくなってしまいました。

 

まず親からの無償の愛なんていうものはまったくの幻想でしたし、いつかきっと友達ができるという期待も、幻想でした。そう考えるとアイドルだってわたしが微々たるお金を払っているからって好いてくれてるなんて確証はないし、と考えると何を信じていいのかわからなくなったし、SNSのいいねだとかリプの数を気にしてしまう性質なので、そこでもやはりわたしにはいいねこないからこの人に嫌われてる、というような考えに直結してしまって逃げ場がなくなりました。世界にひとりきりの気持ちになってしまって、わたしを救うものはほんとうに死ぬことひとつのような気がしてそれがだんだん絶対になって死ぬ事が宗教みたいになった。わたしを小学生のときから生かしてくれたインターネットに殺されるのだけは嫌でした。だから離れました。死ぬなら自分ひとりで死にたかったからです。死ぬ時くらい自分の責任は自分で負います。誰のせいにもしません。死ぬ理由も絶対に自分にします、無理やりにでも持っていきます。準備だってひとりで全部やります。今から死にますなんて誰にも言いません。最後にアイドルに会いたいな〜とか思ったりしたけど会いません。今までありがとう!とか言いかねないからです。好きで好きでたまらない人に違和感を持たせたまま死ぬなんて馬鹿げてる。だれにも負い目も責任もことばも何もかも絶対に絶対に絶対に残しません。ありがとうはここで言います。特定の誰かには残しません。私の死なんてものが足枷になるかはわかりませんが、なる可能性を1ミリでも残してはいけない。人の死はそれほどデリケートだから。

 

わたしは、人を傷つけるのが嫌いです。誰かを嫌な気持ちにさせるということが本当に嫌いです。誰かの有限な時間だとか権利だとか気持ちを奪うことも苦手です。自尊心とか欠けらも無いし、自分の中で、全ての有機物の中で本気で自分がぶっちぎりでワースト1位だからです。だからわたしの好意や行為すべてが迷惑だと思ってしまいがちです。そしたら途方に暮れたわたしが負の感情をぶつけられるものって私の体と精神ひとつずつで、わたしはわたしがどうなったって別にどうでもいいから、だから何もかも全部自分にぶつけてきました。でもねひとつずつしかないから壊したら替えがないっていうのを失念してました。ひとつずつしかないの不便だなって思いました。腕を切ったら傷がつくのだから、切れる場所は日に日に減りますよね、体はひとつしかないんだから。心も同じで、まだ死んでいない大丈夫な場所があったから大丈夫だと思えていたけど、とうとう全部死んだっぽいです。呼吸をするのが怖いです。明日が来るのも怖いです。人に嫌われるのも怖いし、このままずーっとひとりなのも怖いです。死ぬのは怖くないけど死ぬ前に痛いのと苦しいのは怖いです。ワガママ!この世って怖いことだらけですね。

 

そんな中でみんな頑張って生きているのに、わたしは「普通」のラインにも立てずに、それがギリギリで生活しているという事実に、生きている価値を見い出せませんでした。

 

毎回毎回、「選ばれなかった」という感情に振り回されました。わたしの人生はいつもこうでした。何をするにしても、「選ばれなかった側の人間」になってしまう。それにも疲れてしまいました。

 

誰かが悪いんじゃありません。自分に呆れ果てました。もううんざりです。今までお母さんについて色んな話を書きました。お母さんがしたことは確かに虐待でしたし、虐待は許されることではないとは思います。でも思い返せばお母さんは何も悪くありませんでした。20年前にわたしが生まれてからずーっと欠陥品にいらいらしながら過ごしていたお母さんを悪者にしてしまったわたしが本当に本当に汚いと思いました。そんな気持ちをさせてしまいながら、ここまで育ててもらったのにね。いま考えると結局、お母さんってなにも悪くなかったんです。産まれてきたのがわたしじゃなかったら、そもそもお母さんもきっとこんなことを子供に対してしませんでしたし、そのいい例として妹は頭が良く賢かったので、わたしがお母さんにされたことはひとつもされていませんでしたし、なんだかもう、すべてそういうことだったんです。わたしがわたしだったから、で全て森羅万象が片付きます。わたしがこうなってしまったのは誰のせいでもなく自分のせいで、それなのにそれをなにかのせいにしようとしていたんだと思います。自業自得なのに。いつまでもいつまでもなくならない孤独感の原因も、本当は人とうまくかかわれない自分と生まれ持った自分の性質のせいなんだと思います。

 

それなのにわたしはどこまでも甘えた人間だから、ぜんぶ自分のせいなのに被害者のようなツラばかりしている。馬鹿で低俗だなって思います。いつまでもいつまでもわたしは甘えているみたいです。頑張ってるよって言ってくれたたくさんの人、優しい嘘を言わせてしまってごめんなさい。みんなを嘘つきにしてしまったことがかなしいです。ほんとうにごめんなさい。

 

ネット依存のわたしがTwitterインスタLINEに一切触れずに何をしてたかと言うと、死ねないということと、生きている、ということに異常な恐怖を覚えてなにもせずにひたすらに泣いていました。1日中眠らずにその事を考えていました。頭がおかしいですね。明日が来ることがひたすらに怖く震えていました。DMやLINEで心配してくださった人ありがとうございました。そして頑張れって言ってくれたのに頑張れなくてほんとうにごめんなさい。でももう無理でした。みんな頑張っているのに、その半分も頑張れなくてごめんなさい。

 

友達が死んだ時も、さいごに「ごめんなさい、もう無理です」となきながら言っていました。「もう無理だ」とぷつんと生きることへの執着が切れる瞬間を、わたしもはじめてしっかり経験しました。人生で1番死の淵に近かった。死のう!と本気で思ってからはおかしいことに比較的心が楽でした。希望が見えた気がしました。目標に向かって頑張れるような気持ちになった。

 

現実でこんな話聞いてくれる人なんて誰もいなくて、ううんいるかもしれないけど引かれるのも怖くてどうしたのと聞いてもらっても私は上手く話せなくて、核心に触れる前に誤魔化してしまって、私の本当の気持ちを知る人ってこの世にひとりもいなくて、わたしは誰でもこんな話ウザがると思ってるから笑って、少し話せたとしても甘えてると思われるのが怖くて全部言うことは絶対にできなくて、Twitterやストーリーを更新するのは誰かに見せつけたいんじゃなくて何か言わないと頭がおかしくなりそうだからで、自分しかぶつけるものがなくて、たいしたことのないくだらない血ばかりたくさん自分で流して、自分が心も何もかも死ねばいいんだなー!って思いながらこれがギリギリだって言っても信じて貰えないから逃げて甘えている振りをして、大丈夫かと聞かれたら大丈夫!って考える暇もなく元気に言う癖がついて、だってわたしは人と繋がる方法をそれしか知らないから。人を不快にさせたくないから。わたしのなかのヒエラルキーでわたしが最下位だから。だから誰も本当の意味で私を救おうという人はいなくて、わたしもつくれなくて、これから先もきっとできなくて、やっぱり死ぬってことだけが救済だなあといまもぼんやり思います。人間の体温に触れたい気持ちは異常なほどあるけれど、いまこの頭では何を言っていいのかわからないし、アイドルに会ってもオタクに会っても、きっと元気がなくて嫌な気持ちにさせてしまうだろうし、きっとまた言う勇気が出なくて押し黙って困らせてしまうね。人を困らせるのは苦手です。いつも頑張れと言ってくれるのに頑張りきれなかったこと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

 

取り急ぎ免許とれてないし、挫折したし、残念ながら生きていますっていう報告でした。

 

とりあえずだれかにぎゅっと抱きしめてほしいので、風俗 女性OK ハグだけ 安い で検索しています(元気なオチ!)

 

幻想
現実にはないことをあるかのように心に思い描くこと。また、そのような想念。