深夜東京の6畳半、ゆめをみてた

 

ブログを書いている。

 

わたしがブログを書いているということは、耐えきれないくらい嫌なことか、とんでもなくハッピーな事があったかだ。

 

今日の夜は前者だった。

 

わたしは頭が1度沸騰すると、ふざけてんじゃねーぞ散れや!!!って気持ちになって、それを思いとどめることはできなくなって、だからTwitterやインスタに書かずには居られなくなって、そのあとささいなことでもキレやすくなって、そのあと自分でやったくせにその罪悪感と、飲み込めなかった薬が喉の奥で溶けたような後引く怒りに、生まれてきたことを後悔する。

 

先ほどまでこの状態で、今も完全に治ってはいないのだけど、気がついたら寝落ちしていて、今に至る。

 

この世は理不尽で、センスがなくて、心がときめかない、つまんないことだらけだ。風情もクソもないつまんねーアイドル。センスのない人間からの服やら髪やら倫理観やら何やらへの非難―センスがないというのは、わたしのちっぽけな世界観にそぐわないという意味ではなくて、他者を尊重できないしユーモアもない、多様性に欠ける人間ということだ―。心がときめかない服装や髪型、でもこれに至っては個人の自由だし、わたしはニートだけど他の人はそうではないから、どうこう口出しできる問題ではないということはしっかりわかっているつもりだ。

 

まあとどのつまり、機嫌が悪いのだ。

 

この病気の診断を受け、もう2年?3年?経とうとしているが、精神病って難しいんだなあと毎回思う。治んないもん。ぜんぜん。ぬおおおって本気出してもベッドから起き上がれない日と、部屋掃除してスーパー行ってきちんと料理して何もしてないとソワソワしてネットショッピングの手がとまらない日と、ライブでぶち上がる日と、すべてが目まぐるしく過ぎ去っていって、どれがほんとなのかわからなくなって、撃沈する。

 

わたしの紡ぐものにはすべて根本にいつも孤独があって、誰にも愛されないという固く根付いた土台から全てを発信している。要は寂しいんだな。孤独というのは悲しくて寂しくて儚くて、そんなすこしうつくしいようなものに見えるけれど、それをずっと纏い続けているわたしからしてみれば、孤独というのは強くて憎悪で呪いでとんでもないパワーを発揮するみにくいものだ。よくもまあ世間様にそんな前者のようなイメージを持たせたものだ。本来は真逆な気がする。

 

雨のせいか、新しいお友達が一気に増えたせいか、孤独の裾が広がったような気がしてならない。いわゆる「身内」じゃないと、外から見ていて辛い時がある。誰でも誰かの身内になれる訳では無いし、関わる人全ての身内になるなんて無理なのに、それを求めている、よくわからない。

 

紹介状抜きであたしのこと 見て欲しいんだな君の目で

 

おやすみ