私の話、2️⃣

 

クソつまんねー自分語りパート2

 

18まで私が住んでいたところは、まあとんでもない田舎で、宅配ピザも届かず(今度絶対頼んでやる)、駅まで行くにもみんな車を使う。ちなみに歩くと1時間弱かかる。隣町までいかないと、本当に何も無い。町にはドラッグストアも、本屋も、雑貨屋も、服屋も、ひとつもない。

 

絵にかいたような車社会で、電車に乗ることはほぼない。高校でようやく電車通学になったが、それまでは電車に乗るということがよく分からなかった。

 

高校まで1駅しか電車に乗らないんだけど、え!?1駅!?乗る意味ある?と思わないでいただきたい。田舎の電車を舐めるな。電車の移動でも、1駅10分くらいかかる。間隔が異様に長い。まあもちろん、1駅歩くなんて言うのは不可能に近い。だから都会の人が「帰りは一駅分歩いて帰る🎶ダイエット🎶」とか言ってるのがマジで信じられなかった。死ぬじゃん!と思っていた。こんなド田舎にバチバチ駅を建てる訳にもいかないんだろうな。ちなみにバスも電車も、1時間に一本ずつくらいのペース。

 

掘っ建て小屋みたいな駅。止まるのは当然、各駅停車のみだったので、私は未だに特急だとか急行だとかをよく分かっていない。電車はみんな各駅停車な気がしてた、、、し、線路もホームの両脇にふたつ、右に行くか、左に行くか。のみ。上り方面か、下り方面か、のみ。マジでこのふたつ。ふたつにひとつ。なので、ひとつの駅に線路がたくさんあるの、未だに怖い。

 

 

 

お母さんは、たぶん、この田舎でなんとか「良い教育」をしようとしてくれた。

ここは、お母さんの好きなところ。

 

 

物心付き始めた〇〇ちゃん。まずは本をたくさん与えられる。休日も図書館に入り浸り、1日読んでいても飽きない。見事に本の虫。小学生のとき、学校の図書室の本をアホみたいに読み漁り、貸出カードが1人だけ1枚では足りず、たしか4.5枚、セロハンテープでくっつけて使っていた。で、本を1番読んだ人だかなんだかで、何かよくわからない表彰をされた。

 

これはそういえば誰にも言ったことがなかったんだけど、中学のとき、図書館のひとつの棚を全部読み尽くした。私が好きなミステリー小説の棚。ある本は全部面白かった。

 

図書館の人とすっかり顔なじみになり、司書のおじさんがよう、〇〇、と声をかけるようになった。

 

このおじさんのことはぼんやりとしか覚えてないけど、ひとつだけ。私がまだ小さい頃に祖父がなくなったんだけど、何年かしてからおじさんに「お前のとこのじいちゃんって、まだお元気なんだっけ?」と聞かれた時に「ううん、死んだ」とめちゃくちゃストレートに答えてしまい、「死んだか!でも人が死んだ時は「亡くなった」って言うといい、怒られるから」と笑われた。

 

 

 

 

小さい時からミュージカル、美術館、博物館、個展、それから、謎の教室(陶器に絵を描いて焼いたり、アロマキャンドルやバスボムを作ったり、リースを作ったり、絵本を自分で書いたり、本棚を作ったりする)、科学の講演会(でんじろう先生クソ懐かしい)、などなど。いろんなところに私を連れていってくれた。

 

 

私がミュージカルの中で一番好きだったのは、劇団四季の「人間になりたがった猫」というファミリーミュージカル。悪役なんだけどスワガードというキャラクターが大好きで、公演後にその演者さんにサインを頂いたほど。調べてみたら、もう結構長いこと上演されていないようでさみしい。

 

 

それから静岡の美術館にロダン館というのがあり、あ、ロダンというのはかの有名な考える人の作者です、そこでよくロダンの彫刻を見ていた。「地獄の門」という作品があるんだけど。これだけは何度見ても、何分みても飽きなかった。

 

モネ、ピカソを見たと思ったら次はディック・ブルーナ(ミッフィーちゃんの作者)、バムとケロという作品が大好きなんだけど、その作者島田ゆかさんの展示も見た。あとはなんだっけ。ゴッホ、スーラも見た気がする、それからエジプトのミイラ、ルーブル美術館の出張展示、日本画インカ帝国、アラスカの歴史まで。いろんな特集展を見た。

 

とにかく影響を受けやすかったので、ミイラを見たあとは死んだらミイラになりたい!と思ってミイラの作り方を内臓の処理方法から調べまくったり、生贄について調べまくったり、そこから飛んで人間の体について知りたくなって科学博物館に行きたい、内臓が見てみたいとゴネたりしていたところ、エログロやサブカル、戦争、胸クソ悪い系が好きになってしまい、1人でふらふらシリアルキラー展に行ったり、長期休みの夜中に夜な夜な妹とサイコホラー映画を見たり、ハッピーツリーフレンズを見ていたら一日が終わり、休日はパソコンで永遠と事件、事故、ww2、殺人鬼のまとめサイトWikipediaを永遠に見続けるヤバい女になった。

 

 

 

 

習い事は、まずはエレクトーン。ピアノ。それから英会話。書道。家庭教師みたいな謎の人間。謎の大量のテキスト。夏休みはスイミング。

 

 

幼稚園の頃からピアノを習わされたのだが、持ち前のバカ脳でめちゃくちゃ間違えるし、そのうち嫌になって練習しなくなったらお母さんにぶっ叩かれた。

 

間違えるとぶっ叩かれるので、ますます弾くのが嫌になる。でも弾かないと、もちろんぶん殴られる。しかし練習までノーミスでやれというのは無理な話である。つまり、どちらにしても、、、(地獄)

 

ミスをすると太ももをめちゃくちゃな力量でつねられる。殴られるよりつねられる方が痛いし涙がでる。太もものアザがすごかった。幼いながらに自分でもドン引きしていた。むらさき、みどり、きいろ、、、綺麗、、、なんて思うわけねーだろ、生命の危機を感じていた。大袈裟だけど、頭を容赦なくぶっ叩かれるので、脳が揺れる度に死ぬんじゃないかと思っていた。

 

ピアノ教室のお迎え、お母さんはわざと5分早くやってくる。流れてくる私のピアノを聞いているのである。にこにこしたお母さんが待ち構えていて、ピアノの先生と話をしているあいだ、私はずっと震えていた。車に乗った途端、「あんなに間違えてみっともない、あんた月謝払えんの?金をドブに捨てさせるつもり?」とお説教が始まる。右手でハンドルを操作しながら、左で私をつねってくる。安全運転してくれ。

 

で、車から無理やり引きずり降ろされる。

で、お母さんは「反省しな」と吐き捨てて、車を発進させてしまう。ここでばいばいです。

 

え?どうすんの?って、もちろん山道を歩くのである。当時は街灯もなく、私も小さかったのでマジで怖かった。30分ほど歩くと家の近くになる。お母さんはそこでイライラしながら待っている。あんまり家に近いところでで私をひとりで歩かせていると近所にバレるからである。

 

 

私はADHDだからかなんなのか知らないが、とにかく要領が悪く、やらなければならないことに手をつけるということがめちゃくちゃ苦手で、幼少期はもちろん今よりもずーっと苦手で、テキストもピアノも上手くやることができなかった。

 

 

そんなこんなで見事に呪いの楽器となり、ピアノは大っっっ嫌いになった。10年近く習ったが、いまではまったく、何も弾けやしない。

 

 

 

あ、ちなみに本を読むのと同じくらい、絵を描くのも好きで物心ついた頃からずーっと描いていたのだが、高校に入学してから忙しくて全然絵がかけなくて、ひと段落着いた頃久しぶりに絵を描いたところ、「お姉の絵、なんかすごくヘタクソになったね」と妹に言われてアホみたいに傷ついてしまい描くのをやめた。

 

 

 

高校のとき、入学式翌日にウィルス性胃腸炎で入学早々、1番友達を作れる大事な時期に初っ端から高校を休み、もう終わった、、と思っていたところを同じ中学出身の子に拾ってもらいグループに入ったのだが、速攻でいじめられた。

私をグループに招き入れたその女から徹底的に無視をくらい、移動もお昼も私の場所を詰めるように行動する。ガチマジの他人からの悪意に真正面から触れたのはこれが初めてだった気がする。ガン無視のくせにたまに寄ってきて話してくれると思ったら、会話の中で「かわいくない」とか「ダッサ」とバッサリ吐き捨てられて、いろんなものがここでさらに拍車をかけて死んで行った。さようなら私の尊い自尊心たちよ。困り果ててストレスで死にそうになったが、いじめで不登校になぜかなりたくなかったので(私はこんなに見た目だしメンヘラだが意外と気が強い)、意地で高校に毎日毎日通い続けた。結局インフルエンザにかかった時と、熱が出た時以外休まなかった。ちなみにこの女は2年になったら全てを忘れたようにめちゃくちゃ明るく仲良く私に接してきて、この女にいじめられたと打ち明けてももう誰も信じなかった。お前のこと一生嫌いだよ。しかもその女がガン無視を始めたのが学校の親睦を深めよう!的な新入生宿泊合宿的なものの初日で、部屋割りも同じだったのにガン無視され続け、私は3日間知らぬ土地でグループワークもろもろぜんぶ普通に1人だった。

 

ちなみにこの時精神病的な症状が少しずつではじめ、あげく円形脱毛症になってウケた。それから自分の顔がブスだということに異常に過敏になった。今もそこはまだ髪の毛が短いのでめちゃくちゃ困っている。

 

 

私は自分の容姿が大嫌いである。というかよく分からないのだ。ブスなのはわかる。なんだか自分の顔がよくわからなくて、どんな顔なのか、あんまりよく分かっていないのだ。昔は子供らしくおままごとは主役になりたがったしピンクが大好きだったのに。小学生のときから、幼い故に悪気なく「〇〇ちゃんはかわいくはないよね」的なことを言われていて、中学のとき、特に仲良くもないクソ男に脈絡もなく「〇〇ちゃんってなんでそんなに目ェ小さくてブスなの?」と尋ねられた時にいろんなものが弾けた。

これは変えようもない、本当の事実だ、事実なんだけどどうしてもどうしても悲しかった。

 

高校はメイク禁止だったのだけど、色白は七難隠すということばどおり、せめて白くあろうと思ってよくわからない美白サプリを飲みあさり、365日日焼け止めを塗っていた。精神病、統合失調症の症状もあってか、私はとんでもないブスで(これは事実だが)、少しでも黒くなったらもうブスが増して生きる価値がなくなるとさえ思っていた。から、めちゃくちゃに太陽を避けて、必死に白くなろうとしていた。それから写真にうつる価値もないと思っていたので、写真を異常に避けた。あと、この顔でその場にいることはとんだ迷惑だと思っていて、まあ今も思っているんだけど、前髪も長くて、マスクをしてることも多かった。高3でこの症状はすこしマシになったが、とにかく、とにかく、とにかくこれ以上ブスになるのがの怖くて怖くてたまらなかった。結果、異常なくらい青白くて、今見返すと、数枚残る高校の頃の写真全部血色がなくて幽霊みたいだった。今年はまじで何もしてないので多分今の私はめちゃくちゃ黒いと思う。

 

毎日泣きながら化粧をしているわたしの顔はちゃんと人間なのか、それが問題で、毎日毎日こわい。

 

高校で精神薬を飲み始めたら副作用で体重も増えてさらにブスになった。

 

たまに「なんでそんなに自分の事ブスっていうの?」と言われるのだが、なんでも何も無く、理由もなく、事実に屈しているだけです。

 

未だに誰かと遊んだりする時、私で本当にいいのだろうか、この顔面で、と思うし、誰かに抱きつく時も、ハグされている時も、隣にいてくれて、2人で過ごしている時もこの顔とこんなことをさせて、ごめん、恥ずかしかったらごめん、この顔に好かれるなんて、ごめんね、と、思っている。

 

高校は割と暗黒時代だった、今もだけど。

 

きょうはこれくらいにするね